海外

二十歳で単身中国へ丁稚奉公~その④~

中国広東省深圳にある深圳大学、野球愛好会に吉報が届いた。

2004年7月に広東省広州で野球の大学全国大会が開催されるとのことで、深圳大学も参加できることになったということだった。

2004年5月の広州での大会は惨敗に終わりまだ試合が出来るレベルでは無かったが、この吉報以降、みんなの練習に対する取り組みが劇的に変わったのを今も鮮明に覚えている。

毎日練習は16時前後から始まり、18時から19時まで練習をしていたが、練習後ご飯を食べて21時から寮の下で素振りをしたり、シャドーピッチングをしたり、ゴロ取りの練習をしたりと個々でレベルを上げようとする意識が上がった。

とりわけ、デニスという私の親友は毎日のように私と一緒にいて、授業が終わり、練習後一緒に食事をして、寝る間際まで一緒にゲームをしたり、文化の違いや学んだ歴史の観点を確かめ合ったりと、とても仲良くなった。そして今でも交流は続いており、家族ぐるみで仲良くしている。

そんな毎日を続けているとアッという間に7月がやってきた。大会1週間前に北京大学の野球チームが深圳大学と練習試合をすることになった。

見た瞬間、北京大学の方がレベルは高いなと思ったが、試合をしてみるといい試合になり、成長を感じ取ることができた。

私も1回だけ投手として登板したが、流石に高校まで野球をやっていたので抑えたが、私が入ると全く違うチームになるとも感じた。スラムダンクでいう、「藤間」が入ると別のチームになるという文言があったがそんな感じだ。

いよいよ大会が始まることになり、広州の体育施設場みたいな所に住み込んで5日間ぐらい滞在したのを覚えている。(お金は払ってないので学校が私の分も負担してくれたのか、、、)

全国から20校ほどが集まり4チーム×5リーグに分かれ、上位2チームが決勝トーナメントに進むという流れだ。

ここで情報が入ったのだが、留学生は参加できないとのこと。昨年どこかの大学でフランス人留学生が怪我をした際、その責任に対してかなり揉めたとのことで、トラブルを防ぐために参加できないという理解しがたい理由だった。(当時、スポーツ保険などはなかったのではと、、、)

そんなこんなで私は出場できないという事で、みんなで戦っていくことになった。

リーグ戦を3回戦い、結果は1勝2敗で決勝リーグには進めず。

しかし、チームのみんなはとても成長し、エラーやファーボールなど大きく乱れることなく試合をしてくれました。※熱くなると、すぐカバーを忘れるのは中々治りませんでした。。あと、レフト前ヒットをファーストに投げること(笑)

この大会を終えると留学生活が終わり、9月からはいよいよ社会人生活が始まることになる。

8月は一旦日本に帰り、英気を養って9月からは台湾企業「エアメイト」で働くことになる。⑤に続く。

ABOUT ME
遠山雅治
兵庫県丹波篠山市に生まれる。1983年生まれ。 高校卒業後、1浪するも希望大学に受からず単身中国へ。 深圳大学で1年間語学留学後、現地の台湾企業で働き、その後日本企業のユニデン購買部で勤務する。3年間の中国生活を終え、アメリカに4か月留学。 その後、父の経営する会社に入社し冠婚葬祭業を1から学ぶ。 葬祭ディレクター1級を取得。日本贈答文化協会認定、贈答アドバイザー取得。現在、父の会社を引き継ぎ代表取締役として経営に携わっています。 キクヤ株式会社 代表取締役 (一社)丹波篠山青年会議所第51代理事長 丹波篠山国際理解センター理事